気まぐれ日記 2015年3月

2015年2月はここ

3月1日(日)「確定申告ではまった・・・の風さん」
 1年で最も短くそして感覚的には実際の日にち以上に短く感じられる2月が終わって、3月になった。
 また、色々とひかえていて、踏ん張りどころである。
 そんな3月の最初の日は雨も風も強い日となった。書斎の窓からときどき外を眺めると、雨が真横に吹き流されたりしている。まるで暴風雨の中を航行する船のようだ(実経験はないが)。こんな悪天候の中、長女は、ソナポケと握手するため、今日は早朝から大阪へ出陣している。私にはそんなファンはまずいないだろうから、ソナポケがうらやましい(笑)。
 今週末、最終講義をおこなう東大の金田先生のために、何か面白いものをと、ず〜っと考えてきたが、あまり良いアイデアが浮かばないまま今日まで来てしまった。とにかく手足を動かしていれば、突然、思いもよらぬ発想が湧くこともあるので、朝からああでもないこうでもないと、色々とやってみたが、素晴らしいひらめきは訪れなかった。
 こればかりをしているわけにはいかないので、いよいよ確定申告書の作成に取り掛かった。
 昨日まででデータはほぼ揃っているので、国税庁のホームページを利用して、慌てず騒がず、ボケ老人らしく、慎重に作業を進めて行った。
 昨年は昨年で定年退職という大きなイベントがあって大変だった。今年は今年で、これまで会社でやってもらっていた保険料の手続きを初めて自分でおこなうという挑戦があった。これが意外とやっかいだった。家族全員の分を、ポートフォリオを組んでいるため(別に戦略的でも何でもなく、行き当たりばったりで成り行きでそうなっているのだが)、証明書類が両手でも数えられないほどあったのだ。

3月2日(月)「確定申告の書類が完成・・・の風さん」
 国税庁のホームページを使った書類作成ができた、と思ったのが、今朝の6時前だった。
 夢遊病者のように階下へ降りて、風呂に入って、6時半にベッドに潜り込んだ。
 起きたのは午後2時前である。あまりの疲労で短時間睡眠で目覚めることは困難だった。退職したことによるメリットはこういうことだ。もしまだ在職中だったら、今日から会社だし、とてもこんなことはできない。
 トーストで軽く食事にして、再び、確定申告の書類作成に戻った。
 今朝未明に印刷したものを見ると、おかしな数字が並んでいた。もう一度、やり直すことにした。
 国税庁のホームページを開いて、昨夜の作業を確認していくと、やはり保険料とその控除の数字の入力がおかしいことに気が付いた。
 再入力し、再計算した結果は、以前より好ましい結果を生んだ。
 添付書類を台紙に貼り付けて、大きな封筒にすべて入れて重さを測ってみたら、150g未満だった。つまり、郵送料は205円。
 古い年賀切手をかき集めた。41円+62円+52円+50円=205円。4枚で205円ピッタリになった。

3月3日(火)「きゃぁ〜キャメロンが・・・の風さん」
 午前中に確定申告書を投函した。昨年は完璧だと思ったが、記入ミスがあって後から指摘され、最初の納税額がさらに追加されただけでなく延滞料も上乗せされて、老いの身にはつらい結末となった。今年も(5日もかけただけに)完成度は高いと思うが、何事も指摘がないまま月日が過ぎ去るまで安心できない。
 昼過ぎに長女が確定申告のために帰省してきた。駅でピックアップしてそのまま役場へ直行した。
 長女が担当者に相談している間に、放送が入り、キャメロンの所有者は駐車場へ来い、と言う。
 何事かと思って役場の外へ飛び出すと、悲惨な状況が……。なんとキャメロンの右前部が破壊されていた。ぶつけたタンクローリーは隣に駐車してあり、ドライバーは交番まで行っているという。しばらくして、私以上に老いたドライバーが戻ってきて最敬礼された。歩行者に気を取られていてぶつけてしまったという。私のショックはどこへやら、老人が不憫になった。
 交番で調書をとられている間に、タンクローリーの会社の老社長もやってきた。この社長がまた足取りがおぼつかなく、帽子をとると頭に包帯が巻いてあり、何かが原因で怪我をしたという。事故の加害者も被害者も、そして加害者の勤務先の社長も老人という、まるで日本の縮図のような悲惨な事件だった(笑)。笑っている場合ではないが。
 日曜日にキャメロンで東京へ行くつもりだったが、修理に出すので、ワイフのアクアで行くことにした。
 夕方、長男も確定申告のために帰省してきた。長男の場合は、やっと大学を卒業するので、年金や保険についても今後どうするか考えを聞かねばならない。
 愛工大の次年度の講義のためのシラバス(案)を田村先生へ昨夜お送りしてあったが、早速返信があり、書き直してあらためて送付した。これで次年度のシラバスもほぼ固まった。
 夕食後、金曜日に最終講義をむかえる東大の金田教授へ送る記念のカード作りをした。先週作成したオリジナル冊子もそうだが、はたして喜んでもらえるかあまり自信はないが、何かしてさしあげたい気持ちからの精一杯のものである。
 夜になって突然風雨になり、零時過ぎに地震まであった。

3月4日(水)「キャメロンはドック入り・・・の風さん」
 昼前にカリチューの社長が来て、乗ってきた代車を置いて、壊れたキャメロンで帰った。やはりバンパーの修理は交換しかなさそうとのこと。既に製造は終了しているので、はたして部品を調達できるのか(リサイクルショップを利用するとのことだが)、それが最大の問題である。
 置いていった代車はデミオで、ナビもETCもついた商品になりそうなクルマだが、それで東京へ行く気にはなれない。
 昨日帰省してきた長男を連れて、また役場へ行った。クルマはワイフのアクアである。同じ場所に駐車するほど無神経なことはできない。
 長女のときと同様に、確定申告相談コーナーに用事があった。終わって出てきた長男が浮かぬ顔をしていた。勤労学生控除が受けられなかったというのだ。
 私も知識がないので、すぐに判断できなかったが、話を聞いてみると、どうも誤解があったような気がした。
 帰宅してネットで調べてみると、明らかに役場の相談員の勘違いらしかった。明日また行くことにした。
 やっと依頼本の構成検討に再着手した。
 夜になって急に風が強くなった。風雲急を告げる、なんてことにならなければいいが。

3月5日(木)「久しぶりのすき焼き・・・の風さん」
 午前中に、明日、金田康正先生の最終講義に持って行く品々の準備を終えた。一番懸案だった冊子の製本作業は、満足できる仕上がりになった。ワイフに見せたら激賞してくれた。
 一昨日、キャメロンにタンクローリーをぶつけた人が、謝りに来た。同じ地域に住んでいる人なので、こちらも気まずい。手土産も地元の有名なお菓子である(なかなかの美味だ)。ひょっとして、と思って尋ねたら、墓地は別だが、うちと同じお寺に位牌も安置してあるという。宗旨も一緒ということ。
 先週注文した温水洗浄便座が、1階のトイレに装備された。ワイフのトールペインティング教室の生徒さんもよく利用されるので、ひと安心である。
 その工事が終わった後、また長男を連れて役場へ向かった。今日も、駐車は慎重にしたが、被害を受けた時だって、慎重さは完璧だったと思う。
 長男の確定申告のリトライは、今度はうまくいった。昨日と相談員が違っていたが、それでもこの勤労学生控除の判断はちょっと迷うらしい。つまり、法律の条文があまり明瞭でないからだ。
 昨日と同様に、役場から帰宅して、長男と一緒に私が作ったインスタントラーメンで昼食にした。
 昨日は何事もなくうまく作ったのだが、今日は、ラーメンを煮ている間に刻んだネギを、出来上がったラーメンに入れるのを忘れて食べてしまうボケをしでかしてしまった。もったいないので、ネギはラップで包んで冷蔵庫に保存した。後日、私が使う。
 明日から1週間、鳴海風としての行動が続くので、新しい名刺を50枚印刷した。名刺の作成は、今では私の趣味の一つである。
 長男は明日京都へ帰るので、夜はすき焼きになった。久しぶりのすき焼きである。1週間後に帰国する次女にもすき焼きをふるまってやったら喜ばれるかもしれない。

3月6日(金)「金田康正先生の最終講義そして祝賀会・・・の風さん」
 いつもより少ない睡眠時間で起床。それでも、英語の勉強から朝食まではいつも通り。
 電車で出かけた。
 11時に名駅近くのウィンクあいちに着いた。今日はJMAの生産技術マネジメント研究会の最終報告会である。
 担当した第二分科会の立派な発表を聴いたところで失礼した。懇親会含めて最後までいたかったが、東京へ行かねばならなかった(今日は東大の金田康正先生の最終講義がある)。自分ができないところをデンソーの後輩や名工大の先生に託した。
 1時42分発ののぞみに乗車した。最終報告会のプログラムが変更になったので、当初より早いのぞみに乗車できたので、最終講義に間に合いそうだった。
 最終報告会は12時から始まったので、乗車直前に待合室で遅い昼食を摂った(ランチパック1個)。
 のぞみの車中では睡眠不足の補充しかできなかった。
 東京駅で地下鉄に乗り換え、本郷三丁目で降りた。東大の史料編纂所に何度か行って以来である。
 安田講堂の手前で左に折れて、初めて工学部二号館に入った。玄関に金田先生の最終講義があることが看板で示されていた。
 最終講義開始時刻(4時)の10分前に着いた。前から3列目に席をとった。広い講義室は、まもなく200人くらいの聴講者で埋め尽くされた。
 1時間半の講義は、金田先生の誕生から最近までの主に勉強と研究の人生を紹介するもので、予想もできないことが次々に起きたが、結局、それらの想定外の人生が今日の自分を築いたという内容だった。人生を前向きに生きてきたということだ。
 子供の頃は勉強ができなかった話や、高校へは坊主刈りを嫌って私立へ入った話や、挫折を経ながら挑戦し続けた話が、自分と酷似していて不思議な感じがした。東北大学時代に、私は英語と中国語とドイツ語の単位を取得したのがちょっと自慢だったが、金田先生は、英語とドイツ語とフランス語とロシア語の単位を取得していて、完敗した(笑)。
 祝賀会は精養軒だった。立食式でおよそ150人の参加者がいた。別室には円周率に関する資料がたくさん展示してあり、『円周率を計算した男』の文庫も置いてあった。
 今日は終始金田夫人(『星空に魅せられた男 間重富』の原画展にも来てくださった)が、遠方から来て、ほとんど知人がいない私に気を遣ってくださった。最初に紹介してくださったご婦人が、なんと藤原正彦先生の奥様だったので、驚いた。金田夫人は藤原夫人と仲が良いと、以前の金田先生のお手紙に書いてあったことを思い出した。
 とにかく祝賀会の参加者は錚々たる人たちばかりで、私は肩身が狭かった。なので、しっかり飲んだり食べたりすることにした。
 その間も、帰りの新幹線に絶対に間に合わなければならないので、時間だけは気にしていた。
 ところが、ふと腕時計を見たら、針が止まっていた! ドイツへ持って行ったアルバである。急いでiPhoneで確認すると、まだ大丈夫だったが、気持ちは焦り出した。
 ちょうど金田夫人が近くに来られたので、展示室へお誘いして、持参の品物(サイン入り単行本と文庫、そしてオリジナルカード50枚と小冊子)を解説して愛工大のバッグに入れてお渡しした。金田夫人からも特別に円周率が周囲に印刷されたスペイン製ワインをプレゼントされた。そして、別れ際に握手してくださり「奥様によろしく」と伝言も頂戴した。
 雑鬧する上野駅まで歩き、東京駅でiPhoneを使って乗車する新幹線を9時から8時40分に変更した。これで終電は回避できる。グリーン車だったが、満席だった。酔っていたので、帰りも居眠りするしかなかった。
 名駅では5分で名鉄に乗り換えることができ、終電の2本前の電車に乗れた。
 帰宅し、ワイフが淹れたハーブティーを飲みながら、今日の出来事を延々と報告した。

3月7日(土)「クルマで上京前夜が半徹夜?・・・の風さん」
 やることがたくさんあるのに、朝から頭が重かった。節々もちょっと痛い。二日酔いなどではなく、少し風邪気味らしい。
 朝食後、代車のデミオで灯油を買いに行った。2週間ぶりである。ついでにデミオに10リッター給油もしておいた。
 昼食のラーメンを食べるときに、木曜日にボケのために食べそこねたネギを冷蔵庫から出して入れた。乾燥していて少し苦かった。
 相変わらず頭が重いので、1時間ほどソファで横になっていたが、治らなかった。やがて外は小雨模様になっていた。
 仕事をしなければならないので、頭痛薬を飲んだ。
 夕闇が迫る頃、やっと頭痛がおさまったので(薬が効いたのだろう)、依頼本の構成バージョン3の作成に着手した。
 夕食後、町内会の資料作成をワイフに指摘された。ゴミ集積所の掃除当番表を、早急に作成して回覧板で回さないと間に合わないのだという。
 エクセルでちゃちゃっと作成したが、凝り性がわざわいして、結構時間がかかった(笑)。
 それから、来週の技術士会で販売する本のサインをし、講演スライドを見直し、再び依頼本の構成バージョン3にとりかかったが、夜はどんどん更けていくばかりだった。
 明日からクルマでディズニーリゾートに遊びに行くのに、前の晩が半徹夜でどうするんだろう?

3月8日(日)「近所に出かけるような旅立ち・・・の風さん」
 結局、就寝は午前4時。ひと眠りという感じか。そして、出発直前までまだ仕事をしていた。11、12日と講演するので、そのスライドの再調整、そして16日のスケジュール検討である。
 出発は午前11時40分過ぎだった。
 燃費の良いアクアだが、高速走行するとかえって燃費は落ちる。それはそうだろ。ためた電気を使わなければ意味がない。天気は曇りがちで、富士山がほとんど見えず、いつのまにか通り過ぎてしまった。損した気分。睡眠不足を感じることもなく、そんな会話をしながら高速道路を順調に走っていたが、東京に入る直前から渋滞になってしまった。
 交通量の多い首都高も何とか走りきって、ディズニーリゾート・グッドネイバーホテルに無事着いた。休憩にも1回に1時間は費やしたので、片道8時間のドライブだった。
 ホテル近くのサイゼリアで安く栄養を補給し、明日に備えた。
 夜中にサイレンの音がしてきて、窓の外を見ると、スカイツリーの近くで火事が起きていた。

3月9日(月)「ペアチケットを忘れた!・・・の風さん」
 8時20分発のシャトルバスを予約してあったので、朝から楽勝気分がただよっていたが、顔を洗った直後、落雷のような衝撃が脳細胞を震わせた。
 ディズニーリゾートのペアチケットを持ってくるのを忘れたことに気が付いたのである。
 そもそも1年前に入手したそのペアチケットの有効期限が今月末だったので、ギリギリに使おうと計画した旅行だった。
 「今から取りに行く?」とワイフ。なかなか柔軟な発想だったので感心した。
 しかし、1日ずらして成立するほど二人に時間的な余裕はなかった。決行するしかなかった。家にあるペアチケットの使い方はあとでゆっくり考えるしかない。
 シャトルバスにぎゃあぎゃあ泣いている幼児が同乗した。原因不明。
 「あなたの子供の頃とそっくりでは?」とワイフ。反論する元気もないほど落ち込んでいた。
 チケット売り場でなけなしの現金でチケットを買おうとしていた時、突然ワイフが、「あなた、シニアよ」と呟いたことで、予想外のことが起きた。
 「そんなのあるの? でも、免許証とか持ってないよ」
 「自己申告でかまいません。お見受けしたところ、もしかするとと思ったのですけど、失礼かと声をかけませんでした」と売り場嬢。
 初めてシニアパスポートを購入。700円のお得(^_^)。
 喜びも束の間、入場してすぐ霧雨になった。気温も低い。天気予報通り寒波が来ているらしい。油断していて防寒具も持って来なかったが、ワイフのダウンベストを借りて、使い捨てカイロももらった。
 ディズニーシーの船に久しぶりに乗船する頃から霧雨は小雨になった。風も吹いていて寒い。
 200分待ちのインディージョーンズのファストパスを取得してから、ようやく行動が本格化したが、結局、寒さと雨に耐え続ける、とてもつらいディズニーリゾートで、午後は傘が必要になり、こんなことは初めてだった。
 それでも園内は非常に混雑していて、アトラクションの待ち時間はどれも皆長かった。センターオブジアースが調整中で休業していたのは残念だったが、レベル13という最高ランクのタワーオブテラーが早々とファストパスも完売していたのは嬉しかった。今日は大好きなビッグバンドビートを2回も鑑賞してしまった。
 帰りも10時10分発のシャトルバスを予約してあったので、とても楽だった。土産に買ったオラフのぬいぐるみを抱いて、車中では居眠りしていた。
 夜も疲労で爆睡だった。

3月10日(月)「震災を思い出す寒い日・・・の風さん」
 ホテルの会員だったので、レイトチェックアウトが可能だった。
 超ゆっくり起床し、遅い朝食を摂ったあと、ホテルを出発したが、もう昼近かった。
 順調に新東名に入ったが、横風が強かった。駿河湾を見渡せるSAに寄って1時間の休憩。
 その後も風は強く、雲がかかった富士山を横目で見ながらひた走る。……と、何やら雲行きが怪しくなってきた。
 浜松SAに寄る頃には、ときおり雪が舞う天候に。
 ここでも1時間の休憩をとって、あとは一気に帰宅、と思ったが、岡崎のあたりは本格的な雪。事故も起きていて、高速道の閉鎖が心配になってきた。
 一宮方面は大渋滞らしい。伊勢湾岸道に入っても雪は止む気配なし。知多半島道路に入ってやっと雪雲の下から逃れることができたようだった。
 往路より1時間短い7時間のドライブで帰宅した。
 留守番していた2匹の猫に異常はなし。
 夕食後、当地も雪が激しく降ってきた。4年前の寒さを思い出す。
 明日の準備もしながら、残っているペアチケットの使い道をさまざま話し合ったが、なかなか良い解決策が見出せない。

3月11日(水)「過労でめまい・・・の風さん」
 当初ワイフは、今日、長年積み立てたお金を使って、友人らと2泊3日の台湾旅行に出かける計画だった。多忙な主婦らのしばしの息抜きである。
 ところが、最近あまり体調が良くないため、連続しての旅行を断念してしまった。気の毒である。
 一方の私は、先週からハードスケジュールになってしまい、今日からまた上京である。
 いちおう無理せず、新幹線で出発したものの、東京に着く頃はめまいがしてきた。若い頃も無理が続くと必ず出てくる症状だったので、この原因は過労である。
 しかし、それよりも心配だったのは、昨日の悪天候の名残りで新幹線が遅れることだった。
 名古屋を出発するときはやはり米原付近の強風による徐行運転のため10分の遅れが出ていたが、きわめて珍しいことに、東京に着くまでに遅れを挽回していた。
 今夜は東京の技術士会で講演することになっていた。通算3回目なので、いい加減ボロが出るおそれもあり、準備にはかなり神経を使った。
 体調は最悪だったが、会場はほぼ満席で、講演後の本の販売は行列になり、10人近い方には買っていただくことができなかった。申し訳なかった。
 感謝と充実感でいっぱいだったが、めまいはひどくなり、ホテル近くの飲食店でカキフライ定食を食べて、今夜はさっさと寝ることにした。

3月12日(木)「過労は続く・・・の風さん」
 昨夜は早めに就寝したが、体調はイマイチだった。コンビニでリポDを飲んで、何とか維持しよう考えた。
 午前中は、昨年の12月から毎月おこなっている某出版社との打ち合わせだった。
 もうかなり土地勘のできた人形町駅で降りて、まっすぐ出版社へ向かった。
 今日の最大のテーマは日程決めだった。昼直前についにその話題となり、著者の宣言が求められた。
 私が今後のプロセスをかたると、編集部長は、11月初旬の出版を私に告げた。
 午後も打ち合わせを予定していた。少し時間があったので、またコンビニでリポDを買って飲み、その後、増上寺をお参りし、今年の干支のおきあがりこぼしを買った。
 午後の打ち合わせはJMA本部で、先月のセミナーの振り返りである。
 打ち合わせ後、ロビーを借りて、iPhoneでテザリングしてMacBook Airでメールチェックした。リポDの速効効果かもしれない。
 夜は、初めてになるが、八重洲ブックセンターでのトークセッションである。
 懐かしい人たちがたくさん聴きに来てくれてうれしかった。
 そのような中で、まったく予想外の出来事は、10年以上も前に、私が自ら新刊を宣伝に来た時に対応してくれた店員が、当時の私をおぼえていてくれ、しかも今はフロア長に昇進していたことだった。一つのことを長く真面目に続けていると起きることかもしれないが、この充足感は何事にも代えられないと思った。
 トークセッション後は、東海大学の教授とイタリアンで食事しながら旧交を温めたが、 乾杯したワインを自分のスーツに派手にこぼしてしまい、しばらく忘れていた過労を思い出した。ボケでなく過労であることを願いつつ。

3月13日(金)「何とか帰宅・・・の風さん」
 13日の金曜日だが、大安である(笑)。
 朝食代わりにリポDを飲んで、新幹線に乗車した。
 名駅で病院に薬をもらいに来ていたワイフと合流してそのまま帰宅した。もし台湾旅行に行っていたなら、今夜帰国するはずだった。
 天気はとても良かったが、二人とも体調不良で、何となく冴えなかった。
 お昼はコンビニ弁当でごまかしたが、夜は、私が東京で買ってきたドイツ風のパンをご馳走にして、日本製ホットワインを飲んだ。
 明日は次女が7ヶ月半ぶりに帰国する。LINEに、フランクフルトに着いたとメッセージがあった。
 台湾組は、無事帰国したという。体調不良で心配をかけたことをワイフと二人、申し訳なく思った。

3月14日(土)「7ヶ月半ぶりに次女が帰国・・・の風さん」
 次女の帰国が夕方だったので、名商大大学院、長沢ゼミ・栗本ゼミ合同ケース発表会に出席することにした。
 2年前まで何度も通った伏見キャンパスへ、その時と同じ開講時刻10時に間に合うように行ったのだが、何とも懐かしい。
 ついでに座席も、指定席のようにしていた、教卓に最も近い席に座ることができた。
 初めて栗本先生に挨拶できたし、午前中の4人の発表は非常に勉強になった。卒業生も多く参加していたが、今度の卒業生も、同じように交流しながら社会で活躍していくに違いない。
 急いで帰宅し、ひと休みしてから、とうとう帰ってきた次女を迎えるため、セントレアへ向かった。
 途中でアクアに給油したので、ちょうどよい時刻に到着ロビーに着いた。フライトインフォメーションボードに次女が乗ってくる便名が出ていた。遅れは出ていないようだ。
 それにしても空港周辺は風が強くて寒い。寒いドイツから帰国する次女にとって、この寒さはどうだろうか。
 やがてボードに到着の文字が出、まもなく次女から「着いたよ」とLINEに知らせが入り、ボードは入国手続き中になった。
 そして、意外なほど短時間で次女がゲートから現れた。
 欧米なら抱き合って無事を喜ぶところだろうが、あえてそこまでしなかった(笑)。
 どこかで夕食をと思っていたワイフの期待は外れ、次女はすぐにも家へ帰りたいと言うので、そのままアクアで自宅へ直行した。
 7ヶ月半ぶりの日本を次女はどう感じているのだろうか。別れを告げてきたワイマールをどんな気持ちで思い出しているのだろうか。
 夕食は急きょスーパーで買ってきたもので簡単に済ませた。
 とにかく今夜はゆっくり休ませることにした。
 その次女が久しぶりの風呂に入ろうとしている時に、こちらはビックリすることが起きた。
 持って行くのを忘れたディズニーリゾートのパスポートを封筒から取り出して、あらためて眺めていたら、なんと、有効期限が今月末ではなく、先月末だったのである。これでは、たとえ忘れずに持って行ったとしても、使えなかったのだ。
 1年前に退社してからも、ずっと多忙だった。会社の保養所の無料宿泊券や会社の後輩たちからもらった神戸のディナークルーズのチケットも、期限ギリギリで使用したのである。ドイツ行きだって、あの時期しかまとめて休めなかったのだ。ディズニーリゾートも、そのギリギリで使おうとしたことが、もはや無理というか無茶だったのかもしれない。限界を超えていたのだ。

3月15日(日)「また旅の空へ・・・の風さん」
 無茶とか無理というのは私だけの専売特許ではなさそうだ。
 次女はドイツで申し込んだTOEIC受験のため、午前中から出かけた。
 その前に、ワイフは岡崎の実家へ出かけていたので、私が代車で次女を駅まで送った。
 そして、早目に昼食を摂った私は、徒歩で最寄りの駅まで行き、今月最後の旅に出発した。
 今回は自分が発表したりする場面がないので、MacbookAirは持たず、iPadminiである。ついでに、スーツもやめてラフなブレザーにした。
 荷物が少なくて身軽だったが、体力が低下していたので、それが限界だったかもしれない。
 新幹線では少し寝た。
 気に入っている横浜の定宿にチェックインした。
 そこでまたベッドに横になって1時間ほど仮眠した。
 それでもまだ元気が出てこなかったので、近くのコンビニでリポDと適当な食べ物を買ってきて、部屋で夕食を済ませた。
 iPadminiを立ち上げると、すぐにWiFiがつながった。それで、3日分の日記を書き上げてメールで送り、風呂に入って早々と就寝した。

3月16日(月)「学会からジャズライブへ・・・の風さん」
 6時半に起床した。これは、しっかりホテルで朝食を摂るためだった。
 30分かけてご飯とみそ汁の食事にした。
 天気予報を確認すると、驚くべきことに、夕方から雨である。傘は持って来なかった。
 今日は日吉の慶應大学で日本機械学会生産システム部門研究発表講演会があった。
 日吉駅まで電車で一本だった。
 会場の独立館の受付に早々と到着すると、慶應大学の中野先生と神戸大学の貝原先生が話しているところに遭遇した。お二人にはぜひとも挨拶したいと思っていたので、朝一番からラッキーだった。最新の名刺を渡すことができた。
 どのセッションをどの部屋で聴講するか、前もって決めていたので、すぐに現地へ向かって席を占めると、前の席は貝原先生だった。
 4件の発表を聴いて、ほぼ100%頭が現役時代に戻った。名古屋大学の樋野先生が鋭い質問を浴びせている間に、次の学生向けセッションへ移動した。
 学生向けセッションは、次期部門長になる元部下が座長だった。同じく元部下も発表のために待機していた。学生向けだが、愛工大の田村先生も聴講されていた。
 田村先生と学食へ昼食を摂りに行き(味噌ラーメンを食べた)、そこで、会社の元同僚とバッタリ会った。
 午後は、「つながる工場」セッションをずっと聴講したが、これは収穫だった。年末に出す予定の本に反映すべき内容が豊富にあった。
 学会はまだ続くのだが、次の用事があるため、4時で慶應大学を失礼した。
 外へ出ると、天気予報通りの雨である。駅まで走った。
 名古屋地方も雨の予報だったが、運が良ければ、と期待して、事前に傘を買うのはやめた。
 日吉駅の改札口の前で、新横浜発の新幹線を1本早く変更してから、中へ入った。
 のぞみ号が着いた名古屋駅のホームに評判のきしめんスタンドがあったので、試してみたが、私の好みではなかった。
 次の目的地はジャズライブスポットで、天宅しのぶさんがトリオのゲストシンガーとして歌うのを聴きに行くのである。
 覚王山の駅を出ると、雨はほとんど降っていなかったので、コンビニを探して傘を買う必要はなかった。
 今回、天宅しのぶさんはトリオの関西ツアーに同行しているのだが、近々、ニューヨーク在住の人と結婚するため渡米する。京都出身の彼女は各地で同級生らと別れを惜しみながらのツアーになるのだった。
 なかなか雰囲気の良い店だった。そして、トリオは私とそれほど年の違わないベテラントリオで、ピアノとベースとドラムスである。豊富な人生経験を経たのちに結成しただけあって、絶妙の呼吸で合っていた。そこへ、オリジナル通りに歌わないアレンジャーの天宅さんが、スタンダードナンバーを難解にアレンジし、二度と聴けないサウンドに仕上げていた。
 記念に天宅さんとトリオそれぞれのCDを購入した。
 終電に遅れないように、2ステージ目の途中で失礼することになったが、気分がハイになったままの帰宅で、久しぶりに満足感が残った。
 帰宅して、ワイフとCDを聴いてみると、トリオの演奏は絶品だった。

3月17日(火)「今日はダウンのはずでは?・・・の風さん」
 昨日で10日連続の仕事のピークを何とか乗り切ったので、気分よく起床……したかったが、このところ花粉の飛散が多くて、マスクが手放せない、と言うか顔から外せない。睡眠中までマスクをしている状態だ。
 とは言え、今日からは仕事の挽回が最重要課題だ。
 しかし、花粉症もあって、体が動かないので、郵便物の用意をした後、たまっているメール発信に注力した。
 いちおう習慣なので、朝食はトースト、昼食はラーメンを食べ終わったあたりから、早くもエネルギー切れになってきた。
 ……で、ポカポカ陽気にも誘われて、ベッドで横になった(つまりダウン)。
 辻真先先生の『にぎやかな落葉たち』を読了した。トリックも分からなかったし、犯人も分からなかった。ついでに動機も分からなかったし、その動機が二重の動機になっているなど、想像もできなかった。グループホームを舞台にしている点がいまどきのミステリーらしい。巨匠の想像力は衰えを全く知らない。
 夜もメールチェック程度しかできず(それでも10通発信した)、早々と就寝。
 ところが、今夜からベッドサイドで読みだした若桜木虔さんの『時代劇の間違い探し』が面白い。時代考証をおろそかにしている昨今の時代物に立腹している風さんなので、この手の本は興味がある。さらに、単に間違いを指摘しているのではなく、たとえば「明治政府の洗脳の結果」といった分析がされているので、同感の風さんはつい喜んでしまう。興奮して眠れなくなった。

3月18日(水)「半日ももたず(笑)・・・の風さん」
 寝不足のまま起床。今日こそはしっかり仕事の挽回を始めなければ。
 庭の梅は満開を過ぎて散り出しているし、いつのまにか木蓮がしっかり咲いている。柿の木もつぼみを膨らませている。
 午前中、月曜日の学会の内容について、会社の元部下から非常にありがたい情報が寄せられたので、その勉強に夢中になった。まるで名商大のビジネススクールの予習のようだった。
 午後になって次女を駅まで送って行ったついでに、JAに寄り、続いて昨日準備した郵便物を投函し、さらに振込みもした。
 帰宅し、ラーメンを食べたところで、また昨日と同じように体がおっくうになってしまった。
 書斎で横になっている間に、外が騒がしくなってきた。
 何と雨である。ダウンする前まで晴れていたはずなのに。
 しかし、屋内にいる私の花粉症はすぐには軽快しない。
 夕食後はあまり元気が出ず、午前中の勉強の続きはできなかった。

3月19日(木)「消滅させていいのか・・・の風さん」
 昨夜来の雨がほとんど上がって、かなりの花粉が洗い流されたのだろう、目覚めの気分がまったく違った。なんて敏感なんだろう。
 国土交通省が18日に発表した公示地価を元に、地元のトピックスが朝刊に出ていた。市町村別の住宅地価格の下落率が、私の住んでいるところがトップで、その理由というか背景に、有識者でつくる日本創成会議「将来的には消滅する恐れが高い」とされた自治体であることが明記されていた。悲しいことに、私の主張とピッタリ一致している。効果的な手を打たなければ、どんどん人口が減少していき、やがて、隣接する市や町に併合してもらって、独立した自治体でなくなってしまうのである。なぜそういった危機感を持たないのか、不思議で仕方ない。
 今夜は「とこなめ会」のある日で、昨年の12月以来に出席した。常滑市は10年前に中部国際空港(セントレア)ができて以来、明らかに発展の兆しが出ている。税収入も数十億円規模で増加としたという。さらにコストコやめんたいパークができて、外部からの人の移動が増えた。今年はテーマパークのようなイオンモールも誕生する予定だが、それでも危機感をつのらせて、というのは、旧市街の衰退を起こさないだけでなく逆に復興の起爆剤にするチャンスととらえて、さまざまな動きを起こしている。「とこなめ会」もその一つだ。
 今夜も多くの地元事業家と交流ができたが、日間賀島の名鉄と組んだ宣伝戦略(たことふぐの島)や、とにかく地元の資源を有効活用してお金を地元に落とす作戦という説明に大きくうなずくことができた。見事な経営戦略である。現在では離島の中で、日間賀島は全国一の人口密度を誇っているそうだ。
 地元の素材を使った料理に地元のお酒そして地元の器という組み合わせで、大いに酩酊した夜だった。

3月20日(金)「とにかく前進あるのみ・・・の風さん」
 今日こそたまった仕事を挽回するぞ、と起きたが、既に昼近く、おまけに変わらぬ疲労感。二日酔いではない。
 牛乳とゆで卵でブランチにして、名刺の追加印刷と宅急便の準備をしてから、外回りの仕事に代車で出かけた。
 銀行のATMで残額をチェックしてため息をつき、JPのATMを使って預金の移動(トータルで増減はない)。
 JAで生活費をおろし(減った〜)、コンビニでクロネコに依頼してから某スーパーまで遠出。今日は5%割引デーなので、生活必需品を購入。
 帰りにGSでこの冬最後の灯油を購入した。再び値上がりしていたが、これで打ち切り。あとは来冬どうなるか、だ。
 帰宅して、でかい代車をカーポートに超絶技巧の縦列駐車。ま、一種の趣味だ。
 ワイフの指示でカレーライスを作って食べた。
 この時点でもうエネルギー切れだったが、必死の覚悟で(大げさな)もらった名刺の整理に着手。
 夕食後は、近々児童文学の企画を考えるので、たからしげるさんの本を読みだした。『みつよのいた教室』である。卓越した文章に感嘆した。
 就寝直前はベッドの中で『時代劇の間違い探し』。

3月21日(土)「『解体新書』の勉強・・・の風さん」
 今日は春分の日である。朝の洗面の時、冬でも水道水をそのまま使用しているのだが、手にした水が冷たい、と感じなくなってきていることに気付いた。
 今日は、ある理由から『解体新書』について勉強した。当然、概要は知っているので、知識を補充したということだ。
 学生の頃にどうしてこのことを知ったのか、あらためて分かった。菊池寛の短編小説『蘭学事始』を読んだからだ。青空文庫で再読してみると、小説家の視点で見て、杉田玄白と前野良沢の『ターヘルアナトミア』翻訳に対する取り組み姿勢の違いつまり考え方の違いが実によく描写されていた。
 このことは、吉村昭さんの長編小説『冬の鷹』における前野良沢の姿勢とほぼ同じで、吉村さんは当然菊池寛の『蘭学事始』も読んでいるはずだ。
 そうなると、種本とも言うべき杉田玄白の『蘭学事始』を確認する必要があった。
 そこで今日は、原本『蘭学事始』の内容も確かめてみた。すると、菊池寛の短編のエピソードのいくつかは、原本の中に最初からあった。そして、小説では玄白と良沢の姿勢の違いを際立たせて描いているが、玄白の原本にある玄白と良沢の姿勢の違いは、むしろ翻訳本の『解体新書』の完成と出版において、両者の違いがあったことがむしろプラスに働いたといった書き方をしていることが分かった。そして、玄白の筆致から、自らの学力について非常に謙虚に書いていることは好感が持てたし、彼の翻訳に対する情熱の源泉が、少しでも早く蘭方の知識が世の中へ伝わることという、至極当然なものであることも確認できたのである。

3月22日(日)「学会の小冊子をしっかり読んだ・・・の風さん」
 せっかく大きなイベントの集中期間を過ぎたのに、元気が戻らない。
 今日は昼近くに起床した。それでも、元気に起きたとは言えなかった。
 結局、夕方近くなっても頭が重かったので、頭痛薬を服用した。
 毎日飲んでいる薬は別にして、症状に応じて服用する薬は、花粉症の薬、頚椎症による痛み止め、頭痛薬の3種類である。その中の頭痛薬を飲んだわけだ。
 こういった対症療法は、もう長年の経験で、自分で診断して薬に頼っているので、だいたい狙い通りの効果がある。
 今日もそのお蔭で、仕事をする気になり、月曜日の学会でもらった重要な小冊子を読んで、会社の元部下へメールも送ることができた。
 モノづくりの世界の動向をしっかり把握することができた。今年の終わりごろの出版を目標にしている本に反映したい。
 暖かくなってきたせいか、家の中を蠅が飛んでいた。外から侵入したのか、屋内で冬眠していたのかは分からない。
 書斎に閉じ込めて、キンチョールで退治した。

3月23日(月)「次女のお帰りなさいパーティー・・・の風さん」
 午前中にアクアで出かけた。近所である。UFJで少々の現金をおろし、JPで封書の投函と口座間の預金の移動をし、JAに行って現金の預金と購入代金の振込みを行った。
 午後、電車で名古屋へ出かけた。
 栄近辺で長女と合流して、お茶しながら雑談したあと、金山でワイフと次女と合流した。
 今夜は私の提案で、ドイツ留学から帰国した次女の「お帰りなさいパーティー」をした。
 名商大の同窓生が経営しているイタリアンに行き、4人で好きなだけ飲食した。ドリンクは安く、料理はなかなか美味しかった。
 お店はなかなか人気が高いようで、長女や次女が「今度は友達と来ようかな」と言ったことでも納得できたが、若い世代の客が次々に訪れてくるのだった。
 私はスパークリングワイン2杯ですっかり酩酊してしまい、長女の提案で2次会はUFOキャッチャーをするためにゲーセンに入ったのだが、ついついお金を使ってしまった。

3月24日(火)「キャメロンが戻って最高だぜぃ!・・・の風さん」
 最近、猛烈に花粉が飛散している。報道では黄砂現象も起きているそうで、私の花粉症にもしかすると拍車をかけているかもしれない。迷惑な話だ。
 朝からマスクをして薬も飲んだ状態の中、とうとうキャメロンが戻ってきた。右前部が破損したため、バンパーは新品と交換された。
「エンブレムも新しくなりましたよ」とカリチューの社長が楽しそうに説明してくれたが、雰囲気からするとポルシェのエンブレムにしても似合いそうだ。
 キャメロンよりはるかに大型の代車が、カーポートに超絶技巧の縦列駐車してあるのを見た社長は、「よくとめられましたね」とため息をついた。
 修理代等はもちろん加害者の保険会社が支払うのだが、あれこれお世話になっている社長なので、ワイフが地元の和菓子屋で買ってきた花見団子を渡そうとすると、社長からも「お土産です」とカリチューのある地域の有名菓子舗の花見団子を渡された。花見団子の交換となった(笑)。
 コーヒーで一服してもらっている時に、社長がテーブルの上の『にぎやかな落葉たち』を手に取った。辻真先先生の最新ミステリ長編だ。内容をPRしたら非常に興味を示したので、お貸しすることにした。
 キャメロンの試運転を兼ねてJAへ行きお金(次女の通学定期代)をおろした。いやぁ〜、キャメロンは「最高だぜぃ!」(ディズニーシーの「タートルトーク」のクラッシュの口癖)。
 ジュンク堂ロフト名古屋店でのトークセッションの日程をほぼ決めた。
 地元でやる講演やトークは少ないので、今週中にあちこちへ伝えようと思う。

3月25日(水)「やっとケーブルから光へ決断・・・の風さん」
 今日も風が強く、外は花粉が吹き荒れているのだろう。虚弱な私は、屋内にいても花粉の攻撃を受けて息も絶え絶えである。
 先日の「とこなめ会」で地元のケーブルテレビの人と随分話をしたが、ネットについては光回線にやられっぱなしでビジネスは苦戦しているという。
 私は、高齢化社会にはインターネットはきわめて親和性があり、必要不可欠になると主張し、弱気にならないように元気つけた。
 年寄りにとってインターネットの必要性が高まることは私の自論である。自分自身の移動が困難になってきた場合、手軽な情報の受発信は孤独化を防ぐことができる。たとえ親族や知人が海外にいても、リアルタイムで動画情報だって送れるのだ。そして、自分で手に入れることが困難な物でも、発達した物流システムが即日遅くても翌日には自宅まで届けてくれるのだ。
 とは言え、競争力を失った地元のケーブルテレビへの義理立ては、そろそろ限界だった。何しろ、私は貧乏のどん底にある。徐々に出費を抑えて行かねばならないのだ。
 午後、約束してあった某光通信会社が説明に来てくれた。基本的な情報はネットで入手してあるので、ややこしい点だけ、直接話を聞きたかった。
 さすがにテレビは、地元のケーブルテレビとの付き合いを義理で残すが、電話とケータイをからめて、トータルでのメリットの再確認をした。
 便利さは現状以上が確保されて、なお1ヶ月の支払いが千円前後安くなることが分かった。
 近日中に行きつけの家電量販店で契約することにした。
 新鷹会の『大衆文芸』用エッセイの締め切りが今月末に迫ってきたので、下書き原稿を書き上げた。

3月26日(木)「寝坊してやった仕事はわずか・・・の風さん」
 今朝は、資源ゴミ収集場の立ち会い当番だったが、めまいで起きられず、ワイフにやってもらった。
 最近はそんなに寝不足ではない。それでも起きられないのは、明らかに体力不足で、ウォーキングも筋トレも中断したままだ。そろそろ復活させなければならないのだが、こういうときに限って体力以上の仕事が集中している。
 今日はETCのマイレージの確認や還元をした。ワイフのETCカードは新カードに変更するので、現状のカードの還元ポイントがすべて使用されたことを確認したのだ。4月1日に、マイレージ登録を、旧カードから新カードへ変更するつもり。
 6月のJMAのセミナー研修のためのテキスト作成に着手した。締め切りまで日数はたっぷりあるが、できる限り早めに完成させたい。
 夕食後は、町内会というか区会の組長業務をした。4月からの新年度のために、2種類の当番表と回覧板の回覧順序表を作成した。我が家は組長は2回目になるが、前回担当して慣れているワイフの指示通りに、新しい帳票を作成した。

3月27日(金)「ドイツ風夕食への長い道・・・の風さん」
 今朝も寝ている間にワイフは電車で出かけて行った。
 しかし、昨夜ワイフに頼まれていた仕事があったので、昼までに終えようと、朝食後、キャメロンで出かけた。
 役場へ行って配布されたあるチラシを余分にもらい、UFJのATMで現金をおろし、JAへ行って預金と記念品の受け取りをした。ついでにJPで通帳記入をしてから帰宅した。
 夕方ワイフを駅まで迎えに行ったら、次女が15分後の電車で帰ってくるという。ワイフを家でおろしてまもなく、また次女を迎えに行った。
 今度はワイフがスーパーまで買い物に行くから一緒に行こう、という。どうやら食材を選定してくれということらしい。
 ドイツ風のパンが手に入ったので、今夜はドイツ風料理で統一することになったのだ。
 ソーセージなどを買って帰ってきたら、パン粉を買うのを忘れたという。買ってきた豚肉でシュニッツェルを作ろうというのだ。
 またスーパーへ逆戻りした。
 次女が帰国するまでとってあったグリューワインを温めて、ドイツ風の夕食を楽しむことができた。
 読みかけの本を読了して、今年12冊目の読了となった。まずまずのペースだ。

3月28日(土)「久しぶりの外出・・・の風さん」
 春らしい穏やかな陽気になった。
 ブランチだけでキャメロンで出発した。
 行きつけの家電量販店に行き、すぐに光通信の契約の相談に来たと告げた。まもなく若い担当者がやってきた。
 こちらは事前に念入りに調査し、契約書までほとんど作成してきたので、1時間もかからず決着すると思っていた。
 ところが、想定外のことが起きた。現状のプロバイダー契約を更新する形での契約ができそうもないのである。
 このことの確認をしっかりやってから再度出直してくるとなると、週明けの月曜日になる。しかも、だめだった場合、どのような契約形態があるか、それは説明してもらって納得していた。別のプロバイダーとの契約が追加になるが、トータル料金はむしろ50円安くなるのだった。
 結局、この追加方式を選択することにした。その方が、キャッシャバックの特典もはるかに大きくなる。ただし、ちゃんと裏があって、長期契約が前提であり、妙なタイミングで契約を解除するだけでも違約金が発生するしくみである。若ければ問題ないが、そのころにボケていると、「話が違う」とか「わしは聞いてない」などとわめくのではないか、とても心配である。
 契約の形態を決めたのは早かったが、それからが長かった。ケーブルから光に変更するという内容を、手続きから工事、特典の授受にいたるまで、契約内容の確認含めて、担当者はしっかり顧客に説明し、その確認の証拠まで残すことがマニュアルになっているのだろう。実に丁寧かつ確実に説明を続けていくのである。手順の鮮やかさに、私は感心した。
 結局、2時間以上かかってしまった。
 今日の用事はこれだけではなかった。
 それから電車で名古屋へ向かった。
 ジュンク堂ロフト名古屋店でトークセッションをやらせてもらおうとしていて、その打ち合わせに行ったのだ。
 実際にトークセッションをおこなう場所を見ながら確認をしたのだが、事前に聞いていた通り、視聴覚機器がないばかりでなく、コンセントまで遠く、私が得意な「ヴィジュアル講演」を実現するのはなかなか大変なことをあらためて知った。
 家電量販店で1時間以上のロスがあったが、こちらは順調に目的を果たし(ただし、認識した問題点は増加)、午後7時に帰宅した。
 久しぶりの外出ですっかり疲れてしまった。

3月29日(日)「虚弱体質?・・・の風さん」
 起床は午後1時近かった。
 子供の頃、日曜日などは昼近くまで寝ていて、母から叱られたものである。
 大学生になってからも、ときどきそんなことがあり、自分でも身体はあまり丈夫な方ではないと自覚していた。
 結婚式の披露宴に招待した大学院時代の友人など、スピーチで「昼食のために彼と一緒に外出すると、彼は必ず日蔭を選んで歩いていた。日光に当たるだけで疲れる体質らしく、そんな彼が結婚するのはとても心配である」と述べていたくらいだ。
 むろんワイフも承知で、何とか今日まで大病をすることもなくやってこれたことについては、「私に鍛えられたせいでしょ?」などと自慢げに言われる。
 そうかもしれない。
 外は雨模様で、気分もパッとしない。
 ところが、遅い昼食を摂ろうと食卓についたとき、朗報に触れた。
 地元の新聞の書評欄に『星に惹かれた男たち』の書評が大きく掲載されていた。科学史家の金子務先生の執筆で、ありがたいほど評価してくださった。
 早速お礼状をしたためた。
 そろそろ児童文学の企画も出さなければならないタイミングなので、夕方からそれだけに集中した。
 前進はしたが、ゴールには到達しなかった。
 やはり体力不足が原因かもしれない。

3月30日(月)「何やってんだか・・・の風さん」
 今朝は普通に起きたが、元気はイマイチ。天気も回復しているが、外出する気にもならない。
 昨日に続いて、児童文学の企画書作成に取り組んでいたら、ケータイが鳴った。
 退社後も2年間継続できる健保組合からで、振り込みを忘れていませんか、というものだった。
 あはは・・・。忘れていたどころか、届いていた封筒を開けてもいなかった(^_^;)。
 明日が期限だという。
 生きる資格ねえな。
 昨日から準備して早朝から大腸検査に出かけていたワイフから、昼過ぎにメールがあった。
 検査は無事終わったという。
 お疲れ様、である。
 昼食はまだだというので、お腹にやさしい鍋焼きうどんでも作ってやろうと、ワイフのアクアでスーパーに出かけたが・・・なかった。もうそういうシーズンではないのだろう。でも、もしかして、と思って、近くのコンビニに回ったら、そこにもなかった。
 脱力して帰宅したら、ワイフからメール「もう着きました」。
 げげーっ。次の電車だと思ったのに。慌ててアクアでまた家を出た。
 結局インスタントラーメンを2人分作って一緒に食べた。
 そんなこんなで企画書は今日もできず。
 就寝前に新鷹会の「大衆文芸」用のエッセイを仕上げて送付した。

3月31日(火)「そろそろ桜が満開だが・・・の風さん」
 午前中に銀行へ行ってきた。昨日フォローがあった健保組合の保険料の振り込みのためだった。
 桜が満開に近く、世の中は何となく浮き浮き気分かもしれないが、お金のことを考えると、気持ちは落ち込む。
 銀行は非常に混んでいた。月末のせいだろう。
 窓口で手続きするよりATMを利用する方が手数料が安かった(108円<540円)ので、そちらでやったが、偉そうなことは言えない。なぜなら、店員にすべてサポートしてもらったから(^_^;)。
 昨日送付した「大衆文芸」用エッセイに対して、短縮要求があった。知らない間に、活字を大きくしたそうで、分量オーバーを吸収できないのだそうだ。
 今夜の飲み会(会社の元同僚らが集まる)から帰ってから作業をしようと思ったが、酔っているとどうなるか分からないので、先にやることにした。
 1時間ほどかけてスリム化した原稿は、当初のものよりスッキリした感じがする。何でもムダは多いのだろう。
 なかなか決まらなかった飲み会の会場が確定した。やはり予想した通り、本社の近くだった(名古屋駅近辺ではなかった)。
 公共の交通機関を利用すると、我が家から本社まで、ムダな遠回りをすることになり、結果として料金がかさむ。とは言え、何時に家を出発するべきか、ネットで検索してみた。すると、思いがけないルートが推奨されて出てきた。名鉄の駅からJRの駅へショートカットで歩くという方法だ。これにより、片道料金が1310円から800円に安くなる。時間があるならこれだ、と思い、今日はこのルートを使ってみることにした。
 飲み会は、私が誘った3人も含めて10人になり、とても賑やかだった。気のおけない仲間が集まったということだろう。
 私は珍しく生中を3杯飲んで酩酊した。
 帰りも同じルートだったので、往復の電車賃は1020円節約できたことになる。これは大きかった。 

2015年4月はここ

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